昭和四十四年一月十八日
御理解第四節 この方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようになっ た。この方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子から も両方からの恩人は、この方金光大神である。金光大神の言うことにそ むかぬよう、よく守って信心せよ。まさかの折には、天地金乃神と言う におよばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。
お互い、こうして、金光大神のおかげで、おかげが頂けれられる様になったと云う事だけに止まらずに、金光大神あって神が世に出たのであり、神が助かられる様になったのでありと云う事を、先ず金光様の御信心を頂くなら、ここんところを分からなければいけない。ね。私共が、天地金乃神様のおかげを受けられる様になったと。と云う事は、天地金乃神様も、又、金光大神の取次によって、助かられる様になられた。ね。神も助かり、氏子も立行くと云う、そういうおかげが頂けれる様になった。だから、どうしてもここのところをですね、願目とさせてもらい、ここのところをいつの場合も、はずしたら、いわゆる、本当のおかげと、いわゆる、金光教的助かりとか、おかげになって来ないようですね。そこで私どもが、日夜ここで修行させてもろうて、そして願っておる事。その願っておる事が、神も助かられる事にあるか、ね、と云う事。まあ、云うならば、神様も喜んで下さる事になるか。只、自分よがり、自分だけの助かりを求めての信心であるとすると、云わば金光教的じゃない訳です。ね。ですから、ここんところを一つ、いつの場合もこう頂きます様に、はっきり、この御理解四節に、金光大神の云う事に背かぬ様に。そこんところが、まあ私ども、神からも氏子からも両方からの恩人としての金光大神。そこんところを分からせて頂いての金光大神の云う事に背かぬ様に、よく守ってと、信心せよと云う事になるのです。はたして、どれ程、私共がそこんところを実感させて頂いておるか。神様が喜んで下さる。ここんところをね、私はあの、どういう様な事になったら、いわば思い方になったら、神様が喜んで下さるだろうかと。まあ、いつも、このお話は、あの、出て来るんですけれども。私の少年時代の事です。ね。まあ、私がたしかに十歳と思うぐらいな時であろうと、こう思うんです。善導寺の親先生が学院を終えられて帰ってこられた当時だったと思われます。同時に、私どもはその当時、子供会という、今の少年少女会の前身です。の、まあ、リーダーをしておられました、今、善導寺教会の総代でもあり、長年教育者として、いわゆる学校の先生をなさった岸という、岸あらたろうという先生がおられます。私よりも七つ多いですから、まあ、先生が十七の時、私が十であった事になります。が、善導寺の親先生と二人、やっぱ日曜だったでしょうね。あのう、子供会に行っとりますその間に、お玄関の所に、こう上がり(ざん?)がありますところへ腰かけて、二人で話しておられます。それで、あの岸先生が親先生に言うておられます事がね、「先生、三井教会の中からですね、先生、もう幾人とも言いませんて、一人で良いです。一人でいいから、本当の信者を作って下さい。」と。「本当の信者を育てて下さい」。熱心に、その、そういう事を言うておられるのが、私があの、以前は手洗鉢がすぐその側にあったんです。手洗い鉢の前に私は何げなしにおって、それを何気なしに聞いたんです。聞いた時にですね、ほお、こんなにたくさん三井教会に信者がおる中に、たった一人で良いて、本当の信者を作ってくれて言うておられる。その「本当の信者」というのに私がならせて頂こうと、こう思うたんです、子供の時に。それが、今から考えてみると、十ぐらいじゃなかったかと思うです。はあ、たった一人で良いばいの、本当の信者というのは。一人、本当の信者が出ければ、まあ、そんな素晴らしい事になるんだなあと、まあ、今から云えばそういう事を、まあ、考えたんじゃないでしょうか。ですから、その本当の一人の信者に私がなろうと思うたんです。今の玄関のすぐ南側が、あん、みかん畑があります。みかんの木が3~4本植わっとりました。私はそう思うたらですね、私の心の中に、何と言うでしょうかね、感動が湧いてきたです。もう、涙が流れて仕様がないのです。おかしいですから、私は手洗い鉢の所から、すぐそのみかん畑の中に入って泣いた事を、私は記憶しております。そして、その何の為の涙であっただろうか。どういう涙であったろうか。今から思うと、あれこそが、神様の感動であったんだなあと云う事でございます。ね。云うなら、神様のお喜びだったんだなあ。まだ(年半?)もいかん十のぐらいの子供がです、その本当の信者になろうと、こう発心した。云うなら、神様に喜んで頂けれる氏子にならせて頂こうと思うた。その思いが天地に通うた。その天地の感動が、そのまま私の心に通うて来た。ね。神様の喜びが、ね、神様の喜びが私どもの心に通うて来た。泣いてすがる人はある。泣いて、どうぞ助けて下さいと言うて熱心に拝む人はあるけれども。ね。泣いて、云うなら信心を分からせて下さいというような信者が少ないと神様が言うておられます。ね、それこそ泣いて自分の願いを聞き届けてもらいたい。泣いて自分を、その聞いてもらいたい。あんまり一生懸命に拝みよると、本当に涙が流れて来る。それで、私が、なら三井教会一番の、または三井教会でたった一人で良いと言われた真の信者になったとは、言えも思われも致しませんけれども、しかし、そういう思いがいつも私の心の底にずうっと何十年間続けられて来ておるという事。また、私が生涯かけてこの事は忘れられない。本当に真の信者にならせて頂こうと、この願い。しかも、その願いに添うて、なら、日々の生活があるということ。これも、やはり私の少年時代の忘れられない思い出。それでも私は、何年生、まあ、小学校の時であった事だけは分かります。昔の草野の小学校。色んなお祝いの行事なんかの時には、廊下に一応みんな整列します。今から考えますと、ちょうど昔の小学生が並ぶ所に並んどった場所だけは覚えとる。あの廊下のあそこの所じゃったという事。そこへ、その時間の来るのを皆整列して待ってる訳です。で、講堂に入るわけですよね。確かに元旦祭だったと思うんです。元旦式ですね、正月の元旦の式です。あの時分は、子供でも皆紋付袴を着けてからね、行きましたです。もう、ああいう式の時には必ず紋付を着て、袴を履いて。もう、小学校から皆そうでした。そして、そう並んでおる時、私はその子供の時から、もう非常にひどい霜焼けがいたしました。もう、手も足も、いつもこう饅頭のごと腫れて、それが終いには潰れてしまうんですね。もう、足袋でも履いたら、もう脱がれんのです。だから、もう足袋のまま風呂に入らなきゃならんちゅうようにひどかった。もう、こんな傷跡が沢山残ってますが。そんなにひどかったんです。それをね、その、こう並んでおる時に向こうの方の廊下から走って来た友達が、あんまり勢い余ってから、私にぶつかるように走って来て、私の霜焼けのところを、もう、嫌というごと踏んだんです。ね。そん時にですね、「あ痛あ!!」ち言うちから、そんやつ、その、この奴ば、もうくらそうと思うたんですよね、叩こうと思うたんです。そん時にね、私のその、心の中に閃いたものなんです。私の母の父です。私の爺は浮羽郡の(むぎお?)の人でございますが。もう、本当にもう、仏教に、真宗仏教です。の、仏教に本当に帰依した人でした。もう本当に、本当に帰依した人でしたですね。もう、(とにかく?)殺生というのを全然しないという。まあ、今から考えてみて、本当に仏様の様な人じゃったと思うんですが。ね。あちらに母が里歩きをすると、あちらへ参ります。もう、仏壇の引き出しから上人様の(えどき?)を出して、ね、それを今の云うなら紙芝居のようにですね、それを話してくれる。それが、また行って聞くのが楽しみであった。もう、行ったら、もうすぐ、その話をせがむんです。そうすると、もう、年頃に分かるか分からんか分からんけれども、詳しゅうその話してくれる。それを、今でも覚えております。が、その爺がですね私にね、もう、私が名前が総一郎って言いますから、「総一っちゃんやい、もう決して喧嘩どんするなち言うてから、読んだ。ね。もう、いっちょだんくらされたっちゃ、あの、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏て言いよると、腹の立つとは良うなる」て言いよりました。それが私のですね、その子供の心の中に染み込んでる。ね。そん、爺がいつもその言うてくれるその事がです、いわゆる、もうそれこそ嫌というほど踏まれたその霜焼けの足を踏まれて。「こいつはこん畜生!」ち言うてから叩き返そうと思うた時にですね、私がそれを思いだし、いわゆる、私の心に閃いた。ね。「こここそ、一つ南無阿弥陀仏ば読めにゃんとじゃばいの」という訳でもないですけども、何、そのとにかく、何とはなしに、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言うた事を私が覚えてるです。ただ相手を叩こう、喧嘩しちゃならん、喧嘩どんしちゃならん。いっちょだんくらせられたっちゃ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と言いよると良うなると、こう言う。それが、私の心に閃いた。私は一生懸命、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」て言いよったら、その、やっぱり涙が流れて。ね。霜焼けの踏まれたのが痛かったからの涙であったかも知れんけれども、今から思うとです、私がね、こういう生き方になれば助かる。こういう生き方になれば楽だと、言われたその事を私が行じた訳なの。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、とこう一生懸命言うた事を、私記憶しておりますが、そこから湧いて来ておるのが、やはり感動であった。ね。今にして思うと、やはり、これは天地が感動しておられる。ね、云うならば、教えを守ったのである。その事は、まあ、親鸞上人様の教えを頂いた爺が私に教えた事なんですけれども、なら、御理解この4節のところで言うと、金光大神の言う事に背かぬよう、よく守って信心せよと仰る様にね、金光大神の御教えをよく守って信心する。よく守って信心すると云う事がです、いかに神様の感動を呼ぶ事か、神様の喜びを受ける事が出けるかという事が分かるのです。ね。ですから、今日私が皆さんに、神も助かり氏子も立行く。云うなら、神からも氏子からも、双方からの恩人は、この方金光大神であると言うておられる。私どもの助かり方がです、神様も助かられる。ね。同時に私共も助かられる。ね。そういう助かり。そこで、私が今願っておる助かりと云うものはです、私が願っておる助かりというものは、はたして神様が喜んで下さる事に繋がっておるかという事を思わにゃいけん。ね。例えば、ここに病気をしておる。ね。どうぞ助けて下さいと。今いっぺん、命を頂かせて下さいと言うて願う。ね。これだけでは、只、私一人の助かりですね。そこでです。ね。誰でも、痛いがありゃ痛い、痒いがありゃ痒いを願うのですから。それは、もう当然です。ね。願いは同じで良いけれども、その願いのね、例えば焦点はそこに置いても良いけれどもですね、そこの、助けて頂いたらと云うところからが違わにゃいけん。ね。どうぞ、もういっぺん、命を助けて。例えば、その 医者に見離されたと云った様な病人の場合。ね。もういっぺん助けて下さいと。ね。そして、助けられたら、おかげを頂いたら、ね、それから先をです、いわゆる神様に喜んで頂けれる私にならせて頂きます、ならせて下さいと云う願い。ね。お金が無いなら、お金をどうぞお繰合わせを下さいと。ね。ただ儲けさせて下さい、お金のお繰り合わせを下さいだけじゃいかん。ね。いわば、お金を儲けさせて頂いたら、ね、その儲けさせて頂いたお金によって、家の中が明るうなり、社会が明るうなり、神様が喜んで頂くような事に、それが仰視されると云う願いも、その中に含められてあって、初めて私は神も助かる、氏子も立ち行く。ね、と云う事になるのじゃないかと、こう思うのです。ね。只、助けて下さいと云うだけではいけない事が分かります。ね。助けて頂いたけれども、やはり、元のもくあみでは、神様は喜ばれません。それは、ちょうど私がですね、少年時代に、本当にその一人の、いわゆる本当の信者に私がならせて頂こうと思い、願った。ね。その事を通して、私に本当の良い信心を分からせて下さいと。病気なら病気を通して、様々な難儀なら難儀を通して本当の信心を分からして下さいと云う願いが、ね、神様も喜んで下さりゃ、私共も喜べれるおかげになるのじゃないかという事です。なるのじゃない、なるのです。ね。ここの御造営も、だいたい終わりましたから、それのあっちこっちの支払いをするために、昨日一日、あの、久保山さん来とりました。そして、その支払いの事やらなんかで御用頂いておりましたが。昨日、委員長であります正樹さんと、それから、宮崎さんと二人で久留米の方の庭師の方のところへお礼に行く事になっておった。ところが、あの、夕方、私風呂入っておりましたらやって来てから、ちょっと用事で行かれなくなった。それで、宮崎さん一人で行って頂くようにという事であった。だけん、もう出けたら、今、事務所の方へ久保山さんもおられるから、久保山さん一緒行って頂けばと言うから、なら、そげんでも良いと言うて、昨日、宮崎さんと久保山茂さんと二人で久留米の方へお礼に参りました。感謝状を持って、それからお礼を持って。だから、その、支払いを、まっ、済ませて来た訳でございます。まあ、あちらで、まあ、行く度に、まあ、大変(ひとぼとめき?)の方らしいですから、大変(ほとめかれてから?)。そして帰りに、絵を一枚ずつ書いてもらって来ている。三枚。これは、委員長の久富さん、これは宮崎さん、これは久保山さんという風に、三枚書いてもらっとるけれども、三枚がそれぞれ、その絵が違う。そして、これが良いというのが、誰でもやっぱ変わらんのですよね。だから、私がここでくじ引きをしなさいち私が。どれを誰にちゅう訳にはいかんけんで、くじ引きしなさい。ね。して、残ったつを正樹さんにやって、あんたどん二人が、あの、クジでそれを、そうしなさい。その絵の内容がです、一つは鶯が一匹書いちゃる。もう、色紙の真中に鶯がたった一匹。もう、何とも言えん、その絵なんです。もう、実に上手い絵です。ね。ところが、その鶯を誰でもが欲しいらしい。一つは、まっ、やはりこの、あの、びわですね。果物のひわですか。びわが書いてある。一つは、一枚はちょうど夏の夜の情景ですね。蛍がこう、飛び通っておる情景が書いてある。夏草の中に、その光が点々と飛んでおるところが書いちゃる。それで、皆それぞれにクジを引きましたところが、あの、茂さんがその鶯を引き当てた訳なんです。それから、宮崎さんがビワを引き当てた。(やけん?)残ったその蛍のそれを、正樹さんがもらう事に、まあ、なる訳なんですけれども。けん、私が言う、言うんですよ。これは茂さん、アンタはね、これは鶯が一匹書いちゃる。何も書いちゃない、鶯だけが書いちゃる、一匹。これはアンタに、やっぱり信心辛抱が足らんから。やっぱ梅には鶯という、その梅が書いちゃないとこを見るとね、あんたには神様が梅の信心を求めたもうておるとよ。ね。はあ、そうでしょうと言うて、頭をかいて。また、事実そうです。もう、善導寺の久保山って言うたら、もう、梅の花の信心で通って来たです、今日まで。ね。お母さんと云い、久保山先生と云いです。もう、本当に、じゃあ、信心辛抱梅の花と言われるが、その梅の花の信心辛抱を、10何年、20年近く頂き抜かせて頂いて、今日のおかげを頂いておるのである。んなら、長男である茂さんも、やはりその後の信心が続けられなければならんのだけれども、親のごたる信心は出けん。ね。だから、神様はアンタに梅の花の信心を求めておられる。そこに初めて、梅の花が咲いた。そこに鶯が来て止まったというおかげじゃけれども、あんた信心辛抱という梅の花もないのに、鶯だけもろうたんじゃ、おかげだけもらう事になる。これじゃ神様が喜びなさらん。信心辛抱の梅の花が出けて。ね。そして、鶯の来て止まるようなおかげを頂いた時に、アンタが喜び、神様も喜んで下さるおかげになるのじゃという訳です。ね。それから、私は宮崎さんには、あのビワを頂いとるから。ね。びわは皆さんもご承知のように、いわゆる合楽的めぐりと言うておられます。ね。アンタはやはり、その合楽的めぐりの自覚に立って、本当にそのめぐりのお取り祓いて云うか、そのめぐりを取り祓わせて頂くための修行。その修行が本気でなされなければいけない。ね。まあ、今日はここに参って来とらんから申しますが、昨日、昼からずっと御用頂いておられました。そして、茂さんも二人とも朝からずっと御用頂いてました。お昼、お食事を一緒にさせて頂きます時に、今あっちは非常に胃が悪いんですね。もう、難しかろうごと一時は悪かったんだ。おかげを頂いて、今日、まあ、ああして御用が出けるようになった。あの大きな体格で、もうとにかく御飯を小さい茶碗にいっぱいしか頂かん。で、昨日はそのおさやの中に、あの、キャベツがあったんです。そしたら、昨日は私が、あの、一緒にこうやって頂かせて頂きよったら、そのキャベツの皮を一生懸命剥いとる、御飯を頂きながら頂くんですよ、御心眼にね。それで、私があの、以前に聞かせて頂いた話をさせてもらったんです。あの、アンタは、あの、キャベツは食べよるかち言うたら、はあ、家にも作っとるけん、食べるちゅうほどじゃなかばってん、やはり( )になんかに切って食べる。だから私が、(今晩?)キャベツを今日からいっちょずつ食べなさいち私が言うとる訳。はあ、とても食べられん。それけん、あれを何かミキサーか何かかけてから、その汁を飲む。もう、これはですね、もう胃病だけには、もう実にその神秘的な霊薬と言われるくらいに効くそうですね。これは、ある先生から、それを聞かせて頂いておった事と、私が御心眼に頂くそのキャベツの葉をこうこう一生懸命剥いておるとこを頂くんですよ。だから、私は昨日はしきりに、あの、教祖金光様でもね、あの、病人が参って来るとお与え薬ていうのがあったげな。御伝記には載ってないけども、そういう事実があったげな。何処どこに行って、どういう薬草を買って来い。こういう薬草を取って、それを煎じて飲めという風に教えられたそうです。それで、教祖様のお与え薬として、その、まあ、頂いておかげを頂いたという事実があるです。だから、今日はアンタ達はもう、神様のお与え薬と思うてから、それを頂きなさい。もう、キャベツの事を、私は御飯を(その?する?)間言うんですね。そして、それを夕べの事を言うんですよね。キャベツと言やあ、もう一枚一枚剥いで行かにゃいかん。ね。一枚一枚剥いだからと云うて、それは全部食べられん、捨てる事はいらんとじゃん。ね。信心させて頂くならです、いわゆる椛目的、いろんな合楽的めぐりを持っておる。これは、もう一生懸命剥いで剥いで剥いで行かなきゃいけん。そして、自分というものを無くならにゃいけん。もう、これで無くなるまで、これを食べてしもうた時に、アンタの胃病は良うなるだろうと私が言うわけです。ね。だから、まっ、いわゆる合楽的めぐりを、いっちょどうでもこうでも、一枚一枚剥いで行くおかげを頂いて、その、まあ、持病であるところの、その胃病を一つおかげを頂きなさいと言うてお話をした事です。ね。それから、んならば先生、この正樹さんのは何ですかちゅう訳です。そうね、あの人は蛍じゃけん、やっぱ点いたり消えたりじゃけん、まっ、もうこれが正樹さんが信心たいち言うてから大笑い。ああ、なかなかね。ほんなこて点いたり消えたり。朝参りでん、ほお、これは始めたばいちゅうたら、ちゃんと止める。まいっときして、また次どん参って来るに違いない。ね。まあ、点いたり消えたり。ね。けれどもね、あの人の信心には、その、確かに生きたものを持っておる、いつも。だから、何かと言うと、もうやはり、ここでもとにかく正樹さんとこう言わねばならんような御用をちゃんと受けて、それをこなして行く人です。それには、内容がやはり生きたものである。作り光じゃない。一つの霊光的なものを持っておる。ね、不思議な光を持っておる。どこから放つか分からんような、点いたり消えたりではあるけれども、生きたものを持っておる。これが、例えばね、(ひゃくしょこう)のような大きな電気になった時が、まあ、あの人がいよいよほんなもんであろうけれども。まあ、正樹さんが信心が蛍のような信心じゃろうと言うて、まあ、話しました事です。ね。私どもがこの元旦に頂きましたように。ね。今年の合楽の信心の焦点としてです。ね。より明るく、よりにこやかにと云う信心焦点をそこに置かして頂きますとです、それに、もう本当にその難しさに、取り組みゃ取り組むほど、難しさを感じるのですけれども。教祖様が教えておられる、ね、金光大神の言う事に背かぬ様にと云う事はです。ね。例えば、今年の焦点であるところのにこやかにとか、明るくと云う事に本気で取り組んだら、この教えの全てがです、私どもの物にになって、行じられなければそれが出来んのです、実を言うたら。そのように難しい事なんです、明るくなるということ。ね、よりにこやかにならせて、まっ、今日の御理解で言うと、いわゆる和賀心でしたね。その和賀心になるためにはです、ね、ここに教典の全て言うなら、金光大神の言うておられる事のすべてが身についてです。それが、日常生活に現されて来なければ、ね、その事がなされません。ただ、お互いの信心個性と云うものを持っておる。ね、また神様がその一人一人の氏子の上に、願いが違う。ね。茂さんには梅の花を求められ、ね、宮崎さんには合楽的めぐりのお取り祓いを願われる。正樹さんには各という風にです、神様がそれぞれの氏子一人ひとりの上に、やはり願いが違う。それを、私どもが分からしてもらい、受けて立たせてもらう。で、そういう信心にならせて頂きたいと発心しなければならない。私がどうでも合楽一番の信者にって、私の真似する事はいらんから。ね。そこんところに焦点を。ね。それは、神様が喜んで下さるだろう、神様が感動ましますような、それが、思いに高められてくるところに、ね。それを、例えば、足を踏まれてもです。あ痛っ!と、例えば握り拳を、こう振り上げたその瞬間、私の心の中にです、閃いた南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、とこう、その南無阿弥陀仏と言やあ、腹の立つとが治まると言われておった事を行ずるということ。ね。日頃、こうやって頂いておるその教えが、生活の様々な場合にです、出て来るおかげ。ね。教えを本気で行じさせて頂くと云うおかげ。ね。そこから、神様の、云わばお喜び頂けれる信心と云うものが生まれてくる。ね。金光大神の言う事に背かぬように、よく守って、そこんところを信心させて頂けばです、まさかの折には、天地金乃神と言うに及ばん。金光大神助けてくれと言えば、助けてやると、こう仰る。ね。そういうおかげを頂く為にも、どうでもひとつお互いがですね、焦点を今日私は、その私の少年時代の二つの話をしてから、そこにお互いの信心の焦点が置かれておるか。ね。いわゆる、本当の、これ御理解四節の焦点と云うのは、神からも氏子からも両方からの恩人であると云われる、その金光大神。ね、だから、私どもの願いと云うか、日常生活がです、はたして神様にも喜んで頂けれ、自分達も喜べれる様な生き方、在り方になっておるかどうかと。ね。そういう生き方を、なら具体的に私が申しますならば、私が子供の時の、その思い出話の二つの中からです、皆さんヒントを頂いて頂きたい。しかも、またお互いの一つの信心個性と云うものが、決してその通り、その真似でなくても良い。、いや、またそれではいけない。それぞれにかけられるところの神様の願いと云うものがあるから、神様が私にかけられる願いをまず知って。私には梅の花の信心にかげておると思うたら、そこんところに焦点を置いて。私のには点いたり消えたりという欠点があるという事が分かったら、ね、そこんところに信心の焦点を置いて行く事が、金光大神の言われる事に背かぬようにという事になるのじゃないでしょうか。ね。そこから、神も氏子も立ち行くところのおかげ。神様も喜んで下さり、私ども喜べれるおかげ。ね。それを、私は金光大神が喜んで下さらないはずがない。金光大神の言われる事に背かぬ様な日常生活でありたいと思うですね。どうぞ。